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伊曽乃神社例大祭10月15日・16日
楽車77台、御輿屋台(曳き山の太鼓台。氏子の奉納屋台で神輿(おみこし)とは違う)4台が奉納され、一つの神社に奉納される山車の数としては全国最多ともいわれ 他の地方に例を見ない大規模なものである。
歴史
各神社の祭礼は神社創建時より催行なされていた。それが現在のように氏子が祭り屋台を奉納する大掛かりな祭礼行事になったのは江戸時代初期から中期と考えられる。
伝承を省くと現在文献で確認できる最も古いものは、紀州徳川分家2代 松平頼致が藩主を継承した正徳元年(1711年)の記録で「新居郡一宮神社祭礼に「台車1、御船1、祭具、宰領の配置を定める」との記録がある。また宝暦元年(1751年)の記録によれば 西条藩主松平頼邑は屋台の宰領(総代)について、祭礼の期間に限ることとして 平素の身分にかかわらず裃の着用、小脇差の帯行を出願によって許可しており、これについては 氷見の祭礼(石岡神社祭礼)の記述における「供奉その他役付の者屋台宰領の者は従来の仕来りの通り裃着用苦しからず。但し衣服は面服を着用すること」という触書が当時の代表的な記録として確認されている。一方、冒頭の一宮神社は現在の新居浜市域にあるが、現在の新居浜市の祭礼においては 新居大島を除き だんじり形式の山車は奉納されていない。また、後述の石岡神社祭礼における「吉祥寺の住職が…」とされる伝承についても それを裏付ける文献は現時点では発見されていない。ただし口伝といえども これら一連の内容は現地において古来から連綿と受け継がれてきた 当時の生きた歴史的証言の継承でもあり、またこれらを否定する文献もいまだ存在していない。現在までに発見、解読された文献のかぎりでは 新居郡の中心であり藩庁もあった伊曾乃神社祭礼と、伝承の残る氷見の石岡神社祭礼、また最古の記述が残る新居郡の祭礼のあいだに残る歴史的な空白を埋めることができていない。海路から伝わったとされるだんじりと、陸路より伝わったとされる太鼓台の双方を祭礼に残してある西条祭りを更に調査している