今回は、原型エンジンのキハ47「高徳線」の徳島→高松です。
皆さん、どうですか?
キハ40・キハ47。
身近な存在だったという方も多いのではないでしょうか?
徳島に住む私にとって、キハ40・47は日常であり、とても身近な存在でした。
そんな慣れ親しんだキハ40・47も、もうすぐ引退だそうです。
徳島のキハ40、キハ47は、今でも原型のエンジンを積んで走っています。
それゆえ、発車する時には、ガリガリガリガリ…という物凄い轟音を周囲に響かせます。
にも拘わらず、車両はなかなか前に進んでいかないのです。
そんな轟音も、もう聞けなくなるのかと思うと寂しい限りです。
アップは5月9日金曜日の19:30頃を予定しております。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
令和7年5月7日(水)
車窓 -SYASO-
94 - 21
今回は、583系「ふるさとゴロンと号」の上野→青森です。
撮影は、今から約17年前の2007年12月29日です。
皆様もご存じのように、年末年始のみ運転されていた臨時特急です。
583系の夜行列車ということもあって、「寝台特急」と勘違いしてしまいそうですが、実は単なる「特急」で、B寝台を指定席特急料金だけで乗車できる「ゴロンとシート」というタイプの座席車だけで組成された列車でした。
経路に関して言えば、寝台特急「あけぼの」と全く一緒なのですが、登場時は、弘前発着(上りは弘前→浪岡間快速)で、かつて東北・奥羽線経由で90年代に運行されていた臨時の「あけぼの」81号・82号を彷彿とさせるものでした。
583系による運行ということで、貴重な臨時特急だったのですが、残念ながら2010年の年始を最後に運転されなくなってしまいました。
そんな、ある意味貴重な「ふるさとゴロンと号」の動画なのですが、残念な事に、私的には致命的な失敗作なのです。
当時は今のような長時間撮影ができるメモリーカードが無く、DVテープというテープによる撮影を行っていました。
テープは、どんなに頑張っても最長2時間までしか撮影ができず、途中駅で何度もテープ交換を行う必要がありました。
そんな中、いよいよ最後のテープ交換駅である鷹ノ巣駅に到着。
無事に最後のテープ交換を終えたのですが、なんと、録画スイッチを押し忘れていたのです。
その事に気づいたのが大館駅で、当然、鷹ノ巣~大館間が録画できていませんでした。
全区間録画をモットーとしている私にとって、この作品は、本当に悔いの残る作品となってしまったのです。
加えて、この日の撮影は、ほとんどの区間で雨が降り、窓を叩きつける雨音が激しく録音されています。
これも私が雨男だからなのかもしれません…。
このような事情から、日の目を見る事のなかった動画なのですが、私の持っている夜行列車のネタも尽きはじめ、撮影に対する私のプライドも年と共に衰えてきたので、恥ずかしながら表舞台に引っ張り出す事とした次第です。
失敗作を皆様に見て頂くのは気恥しいのですが、お時間がございましたら、是非、ご覧下さい。
アップは4月18日金曜日の19:30頃を予定しております。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
令和7年4月17日
車窓 -SYASO-
168 - 20
今回の動画は103系「筑肥線」筑前前原→唐津です。
撮影日は、私の動画としては割と最近の2023年10月4日です。
まずは近況報告からさせて下さい。
お陰様で、術後は良好で、左顔面に麻痺が残っているものの、ほぼ通常の生活に戻っております。
いつも励ましのお言葉を下さる皆様には、この場をお借りして心より御礼申し上げます。
さて本題に戻りましょう。
なぜ筑肥線の撮影に出向いたかと言えば、それは言うまでもなく国鉄色に塗りなおされた103系がお目当てでした。
運用がさっぱりわからないので、当てずっぽうで九州に向かいました。
筑前前原駅で最初の赤い1本をやり過ごすと、運が良い事に2本目に青い国鉄色が入ってきました。
運の悪い人生を歩んできた私としては、珍しくラッキーでした。
23才まで東京、それ以降は神戸で4年間過ごしてきた私にとって、103系と言えば、中央線や大阪環状線で活躍していた、あの顔こそが103系でした。
なので実際に九州の103系を目の当たりにした時、私の少ない知識の中から九州の103系を表現するならば、外観は105系、車内は201系といった印象を受けました。
車両にはあまり詳しくない私は、車両に詳しい皆様にとって張り合いがないかもしれませんが、その点はどうぞご容赦下さい。
そして、筑肥線と言えば、やはり車窓の美しさを忘れてはいけません。
筑前深江を過ぎると玄界灘の美しい景色が右窓に広がります。
大入から福吉の間は一旦海沿いの景色もお預け、再び福吉から先は美しい海沿いの景色が戻ってきます。
浜崎を過ぎた辺りからは虹の松原と呼ばれる見渡す限りの松の木が広がり、筑肥線も終盤に入ります。
東唐津の駅を出てすぐに松浦川の長い橋梁を渡り、和多田駅に停車、和多田駅を出発すれば、もう間もなく終点の唐津駅に到着します。
50分程の小旅行でしたが、103系という車両の面白さもさることながら、景色がてとも美しいので、国鉄好きの車窓ファンとしては乗って楽しい、眺めて嬉しい路線でした。
動画のアップは、3月21日金曜日の午後7時30分を予定しております。
お時間がございましたら、是非ご覧下さい。
今回も最後までお読み頂きありがとうございました。
令和7年3月20日(木)
車窓 -SYASO-
103 - 20
今回の動画は183系「まいづる」1号 京都→東舞鶴です。
撮影は15年近く前の2010年12月1日です。
前回のコミュニティで退院報告をさせて頂いた際、沢山の方から温かいコメントを頂戴し大変励みになりました。
この場をお借りして心から厚く感謝と御礼を申し上げます。
皆様からのコメントが何よりの良薬となり、術後3週間で見た目は9割完治致しました。
想定していたよりも回復が早く、応援して下さった皆様、病院の先生方、会社の同僚や社長に対して感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです。
一方で、見た目にはわかりにくいのですが、後遺症として左顔面に麻痺が残り、口内に小さな穴が開いたままの状態になっています。
よって食事は流動食の日々が続いてはいるのですが、仕事に関しては完全復帰となり、いつもの日常が戻ってきました。
そんな中、溜まっていた仕事もきちんと片付け、少し時間に余裕もできましたので、リハビリを兼ねて短編の車窓動画を1本仕上げることとしました。
その記念すべき第1弾が「まいづる」1号です。
数ある動画の中から、なぜ「まいづる」1号を選んだのか。
それは単純にリクエストがあったからです。
実は「まいづる」1号の動画は以前にも分割動画で上げていた時期がありました。
しかしチャンネルのリストラを行った際に全て削除してしまったのです。
ところが先日、『「まいづる」1号の「ラバーズコンチェルト」のチャイムが聞けなくなってしまったのは残念だ。復活できるようなら復活して欲しい』という主旨のコメントを頂きました。
そこで退院後、HDDの中から「まいづる」1号の動画を見つけ出し今回の再編集、再アップとなったわけです。
この動画を撮影したのは15年前。
時の流れの速さをしみじみと噛みしめながら編集をしました。
綾部駅での切離作業は別の日に撮影をしたのですが、雨がしとしとと降り、何となく寂しい日だったことも思い出されました。
動画のアップは、2月28日金曜日の午後7時30分を予定しております。
月末且つ週末ということで、皆様お忙しいと存じますが、お時間がございましたら是非ご覧下さい。
今回も最後までお読み頂きありがとうございました。
令和7年2月26日(水)
車窓 -SYASO-
165 - 30
ご心配を頂きました皆様へのご報告となります。
昨夏にお知らせしておりました入院を伴う手術の件でございます。
1月末から入院し、2月3日に手術を終え、2月10日に無事退院致しました。
入院前には、沢山の励ましのお言葉を頂戴し、私の為に参拝までして頂いた方もおられて心強い気持ちで入院を伴う手術をすることができました。
改めて御礼申し上げます。
最終の病理検査の結果も腫瘍ではなく嚢胞ということで安心している次第です。
結果的には想定内の病気の中では軽度なもので、嚢胞そのものは肥大化していたものの致命的なものではありませんでした。
一方で、左下顎については大きく開いて手術をしたこともあり、現在も穴が少々開いた状態です。
口を大きく開くことができず、流暢にしゃべることも困難で、もちろん食事は流動食です。
痛みこそほとんど無いのですが、見た目が派手で、顔は大きく腫れ、アザ(内出血)が顔中央から首にかけて一面に広がっています。
いずれ腫れもあざも消えるとのことなのですが、まだまだ時間がかかりそうな気配です。
また、オトガイ神経という神経に麻痺が残り、痺れの症状も出ています。
こちらの症状は半年から1年程度で恐らく回復するだろうとの事です。
この度の入院を伴う手術では、徳島大学の口腔外科の先生方に大変お世話になりました。
先生方は皆さん優しく、不安な私の話を良く聞いてくれて、最後まで安心して身を任せることが出来ました。
無事に手術をして頂いたことに深い感謝をしております。
また、入院中には沢山の看護師さんたちにもお世話になりました。
そんな先生方には、この先数年に渡って長期に面倒を見て頂くことになります。
有難い事です。
また今回の件では、職場の同僚や社長にもかなり迷惑をかけてしまいました。
それに多大なる協力もして頂きました。
私の仕事は営業ということもあり、まだまだ完全復帰には程遠いです。
もう暫く同僚や社長にも迷惑をかける日々が続きそうです。
せめてリモートでこなせる仕事だけでも頑張ってやっていこうと思っています。
ということで、仕事が溜まりまくっているので、動画の編集などは、当分の間、お休みさせて頂きます。
申し訳ございません。
取り急ぎ近況報告のみをさせて頂きました。
いずれ落ち着きましたら、新作のアップをしていきたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。
令和7年2月13日(木)
車窓 -SYASO-
366 - 74
今回の動画は、「ふるさと雷鳥」です。
まずは、前回のコミュニティで、沢山の方々から暖かいコメントを頂戴し、とても励まされました。本当にありがとうございます。
入院手術は来年の1月末なので、少々、告知が早すぎた感が否めませんが、その点はどうぞご容赦下さい。
ということで、病人にもかかわらず、今日も普段と変わらなぬ日常を送っております。
動画の編集も、仕事の合間、終活の合間を縫って勤しんでおります。
話しを元に戻しましょう。
今回お送りするのは「ふるさと雷鳥」です。
繁忙期に、489系の能登編成を利用して、大阪~新潟間を運行していた臨時列車です。
「そんな事は知っている!」と言う声が聞こえてきそうですが、「乗ったよ!」という声は意外と少ないのではないでしょうか。
私は、乗るばかりで、列車や車両の知識は乏しいものですから、正否は別としてwikipediaで誕生から廃止までの経緯を調べてみました。
簡単にまとめると、
2001年ダイヤ改正で、「雷鳥」の新潟発着が廃止。「白鳥」も廃止。
これに伴い、多客期のみ「ふるさと雷鳥」の運行を開始。
2009年のGWが最後の運行、事実上の廃止。
といった感じでしょうか。
そんな「ふるさと雷鳥」。
ボンネット型、そして長距離昼行特急。
その姿は、かつて大阪~青森間約1,040kmを13時間以上かけて結んでいた「白鳥」を思い出させます。
「白鳥」は、国鉄世代の私にとって、憧れの存在でした。
しかし、2001年ダイヤ改正で、日本海縦貫のボンネット特急を見る事はできなくなりました。
そんな中、多客期だけとは言え、それこそ「白鳥」に比べたら距離こそ短くはなったけれども、約7時間かけて580km以上を走る「ふるさと雷鳥」は、私にとって、とても貴重な存在でした。
唯、残念だったのは、「雷鳥」のヘッドマークが掲出されることはなく、毎回「臨時」のヘッドマークで走っていた事です。
だから撮影に行く度に、「なぜ、臨時なんだ!なぜ雷鳥のヘッドマークを掲出してくれないのだ!」と心の中で叫んだものです。
そこで今回、動画の編集をするにあたって、その理由をネットで調べてみました。
すると、ヤフー知恵袋で面白い見解が出ていたので、ご紹介したいと思います。
ただし真偽は不明です。
「JR西日本はボンネット雷鳥号のさよなら運転を公式に行っているので、突発的な場合を除き雷鳥号のヘッドマークを付けて走らすと、その時の宣伝が違法な表現になるそうです。そのため「雷鳥」の入ったヘッドマークは付けられないそうです。
これがリバイバルなどでしたら、問題はないようですが、ふるさと雷鳥は趣旨が違うようです。
簡単に言えば、嫌みなマニアからのクレームが多く、マニアがマニアの首を絞めた結果だそうです。」
で、あるならば、「ふるさと雷鳥」という、オリジナルのヘッドマークを新調して欲しかった…。
とは言っても、年数回しか運行しない列車の為に新たなヘッドマークを新調するなどは贅沢の極み。
よって、あり得ない事でしょうが。
ということで、今回は、「臨時」のヘッドマークがトレードマークだった「ふるさと雷鳥」を11月1日(金)の19:30頃にアップしたいと思います。
お時間がございましたら、是非、ご覧下さい。
因みにですが、新潟駅の入線と大阪駅での返却回送シーンは、別日に収録したものになります。
また、車窓映像において、バッテリーやメモリーカードの交換に伴い、一部区間が欠落しています。
その他、撮影や編集において、至らぬ点も多々あると思いますが、ご容赦願います。
それでは、今回も最後までお読み頂きありがとうございました。
令和6年10月30日
車窓 -SYASO-
206 - 33
顎(あご)に腫瘍または嚢胞ができてしまいました。
これに伴い、来年1月末から全身麻酔の手術を含め約1か月の入院となります。
症状の詳細は、ここでは割愛しますが、これだけは言わせて下さい。
「定期的に歯科でレントゲンを撮りましょう!!」
「中でも、”親知らず” が埋没している方は、要注意です!!」
顎の腫瘍や嚢胞は、肝臓がんやすい臓がんのように、ほぼ症状のないまま進行していきます。
なので、気づいた時にはまぁまぁ手遅れです。
但し、顎の腫瘍や嚢胞は、レントゲンで早期発見できればあまり大した事はありません。
どんな腫瘍や嚢胞も早期発見が一番です。
とは言っても、忙しい中、虫歯も無いのに、歯科に行くのは面倒なものです。
でも、「転ばぬ先の杖」と思って、定期的にレントゲンをする事をお勧めします。
私の場合、放置期間が長くなってしまい、残念ながら、相当大きくなってしまいました。
大きくなってしまうと、手術だけでなく、術後の生活も大変です。
もちろん仕事にも支障を来たしますし、大好きな鉄道に乗って旅行することもできなくなります。
是非、皆さまには、私と同じ轍を踏まないようにして頂きたいです。
「後悔先に立たず」
という事で、今回は、鉄道とは無縁のお話しになりました。
投稿には躊躇いもありましたが、誰かの一助になるかもしれないと思い、投稿致しました。
入院が近づいてまいりましたら、再び「お知らせ」をしたいと思います。
よろしくお願いします。
車窓 -SYASO-
令和6年10月4日
216 - 72
展望車窓「トワイライトエクスプレス」大阪→札幌(青森信→五稜郭は右車窓)
2024年8月30日(金) PM19:30 公開予定
デビュー当初、グリーンの客車にカタカナの愛称。
「これはブルトレではない、邪道だ!」と斜に構えた自分が、今となっては恥ずかしい限りです。
その列車は…言わずと知れた「トワイライトエクスプレス」です。
鉄道ファンならずとも、その名を耳にした事がある人は多いのではないでしょうか。
そして、その列車に乗った人の多くは「もう一度乗りたい!」と願ったのではないでしょうか。
かく言う私も、下りに3回、上りに2回、計5回の乗車機会を頂きました。
しかも5回のうち1回は、当時、幻のチケットとも呼ばれていた「展望スイート」。
憧れの1号車1番の個室を、八王子駅のみどりの窓口で、幸運にも手にすることができたのです。
それでも上には上がいるものです。
7号車のミニサロンで出会った老夫婦は、かれこれ10年以上、毎年「トワイライトエクスプレス」に往復で乗車しているとおっしゃていました。
単純計算で20回以上、これはかなりの猛者です。
つまり、それだけ何回でも乗りたくなる。
そんな魅力に溢れているのが「トワイライトエクスプレス」という列車なのです。
燦々と陽光が降り注ぐ真昼間の11時50分、西の都「大阪」を出発した列車は、東海道本線、湖西線、北陸本線、信越本線、羽越線、奥羽本線、津軽線、海峡線、江差線、函館本線、室蘭本線、千歳線の1495.7kmを22時間02分かけて走破し、北の大地「札幌」に翌朝9:52に到着します。
札幌着前、スピーカーから「いい日旅立ち」が流れてくると、なぜか涙が出てきます。
「あぁ…これで、この列車から降りないといけないのか…」
私は今まで、こんなにも後ろ髪を引かれる思いで、名残惜しいと感じる列車に出会った事がありませんでした。
私にとって、「トワイライトエクスプレス」は、かつて深く愛した恋人のように、生涯忘れる事のできない列車となったわけです。
※ご案内※
この動画を公開するにあたり、以前アップしておりました区間動画は、9月10日までに削除する予定でございます。
長らくのご愛顧、本当にありがとうございました。
令和6年8月28日(水)
車窓 -SYASO-
241 - 37
今回の動画は381系「やまとじライナー」2号です。
私がへんな場所に立っていたために、大阪駅の入線では、381系の顔が隠れてしまっているちょっと残念な動画です。
撮影に失敗は付き物。
失敗した場合、折を見て撮り直しに出向くのですが、「やまとじライナー」は、撮影から約1か月後、兄弟分の「はんわライナー」と共に、廃止になってしまい、撮り直す事ができませんでした。
そんな苦い思い出のある「やまとじライナー」も、廃止になって早13年。
もうそんなにも時が流れたのですね。
ということで、今回は381系「やまとじライナー」2号 大阪→加茂を7月26日(金)の19時30分頃にアップの予定です。
所要時間1時間2分の列車ですが、停車中に座席の移動を何度か行った為に、部分的にカットしてありますので、2分程度、短くなっております。
予めご了承願います。
それでは、今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
令和6年7月25日
車窓 -SYASO-
106 - 12
ちょっと気になっている列車があります。
もちろん、今夏、夜行列車で運転される『アルプス』も気になりますが、それ以上に気になっているのが、『スーパーつがる』です。
因みに、『アルプス』の切符購入は、年甲斐もなく『えきねっと』で試みましたが、即完売、恐らく3分以内には完売したようです。
よって、私のようなとろくさい人間は、撃沈でございました。
話を本題に戻しますと、『スーパー』を冠とするJR特急は、『スーパーはくと』、『スーパーいなば』など、JR西日本ではまだまだ馴染みがありますが、JR東日本では、『スーパーひたち』、『スーパーあずさ』に続き、最後に残った『スーパービュー踊り子』も消えたことで、しばらく存在しなかったように思います。
ところが、今年の3月改正で、『スーパーつがる』が誕生しました。
たった1往復ですが、『スーパー』の冠を被った特急が東日本で復活することになったのです。
このニュースは、私の心をギュッと掴みました。
時代の潮流は、「快速か!」と叫びたくなるような、停車駅の多い特急ばかりです。
そんな中、「通過駅を増やそう!」というのですから、これはブレザーが主流の学生服の中で、「詰襟を採用しよう!」というようなものです。
この話の流れからすれば、『スーパーつがる』をアップ!と行きたいところですが、残念ながら、まだ乗車できていません。
そこで今回は、『スーパーつがる』誕生を祝して、2008年の頃の『つがる』をアップします。
ちょっと無理矢理感が強いですが、ご容赦願います。
撮影時は、東北新幹線が、八戸まででしたので、八戸から先は、八戸~青森・弘前間は、『つがる』、八戸~青森経由~函館間は『スーパー白鳥』が、活躍している時代でした。
そこで今回アップする動画は、青森→八戸間の『つがる』16号です。
車内放送で『十和田観光電鉄』の乗換や、割と長めの『車内販売』の放送があったりするのも懐かしいです。
ただし、今回の動画は、『ついでに…』撮影したもので、入線シーンや、到着後の回送シーンなどは含まれておりません。
純粋に車窓動画のみとなっておりますので、入線シーンのワクワク感がありませんが、その点をお含みおきの上、ご覧頂けたら幸いです。
アップは7月5日(金)の19時30分頃を予定しております。
本日も最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
令和6年7月4日(木)
車窓 -SYASO-
125 - 32
JRの夜行列車・寝台列車を中心に撮影した動画をアップしています。
最近は夜行列車がほとんどありませんので、乗車した列車で車窓を撮影した列車をアップしています。