尾川雅則 個人FB
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荒木無仁斎流 尾川道場
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実家は姫路 荒木無仁斎冠翔流居合道場生まれ道場育ち。
日本の他にポーランド🇵🇱 ワルシャワで居合道場を営む。
荒木無仁斎流の暦は 戦国武将の摂津国河辺郡伊丹(現在の兵庫県伊丹市伊丹)の有岡城主 荒木村重の孫(家系)と云われる 荒木無仁斎(秀綱)が 荒木流拳法(荒木流)の流祖と云う説が濃厚です。
最近の系譜でいいますと1880年〜1900年頃に 長崎で道場を開いていた 荒木無仁斎流14代目宗家の金房冠一郎先生(別名・讃岐屋喜三郎)は、宝蔵院流槍術の名手でもあり、歌舞伎の技などを取り入れて金房流剣舞術を創立されていました。また、夫人千代子先生は静流薙刀、佐分利流槍術を修業され、両先生は明治天皇、大正天皇に召され天覧剣舞を行われました。
金房冠一郎の金房流は、1882年(明治15年)には神社での奉納公演などで披露されるなどして、着々と発展。その後、1885年(明治18年)には、のちの陸軍大将・乃木希典に招かれて演舞を披露し、好評を得る。1909年(明治42年)に明治天皇の前で、日本初の天覧剣舞を披露した。明治・大正時代は東に日比野雷風師、西に金房冠一郎ありと並び稱された流派です。
荒木無仁斎流15代目早渕宗家は 幼少の頃より長崎においてこの金房冠一郎先生に師事し、金房流剣詩舞道並びに荒木無人斎流居合術を習得。
私の母である喜多冠翔は初代早渕宗家(荒木無仁斎流15代目宗家)の元で長年の修行をして 最高幹部 四天王(喜多 豊田 永富 柴田)の1人と呼ばれるようになりました。そして喜多冠翔は100人の門下を引き連れて 荒木無人斎早渕流を抜け 1977年に新たに「荒木無仁斎冠翔流」を創立しました。 後に喜多冠翔の嫡男 私 尾川雅則が荒木無仁斎流 尾川道場を創立。
•荒木無人斎流 居合 "早渕流" 早渕鯉将
•荒木無人斎流 居合 "豊田流" 豊田凛風
•荒木無仁斎流 居合 "冠翔流" 喜多冠翔(母)
•荒木無仁斎流 居合 "尾川流" 尾川雅則(尾川道場)